『養生訓』を読む、7
黒田藩主、忠之には嫌われたが、その子光之の代に
なり、彼の才能が見出され再び出仕することとなる。28歳
の時、藩命で京都に遊学することとなり、十一年間を過ごす。
この間、そうそうたる儒者、神学者、本草学者らと交わる。また
江戸に出府したり故郷に戻る長旅を続け、それらの見聞が
益軒の実際的な知識を広めるのに大いに役立った。この期間は
益軒先生は刻苦勉励したようである。ただし、村井康彦氏によれば
この頃、淋疾にかかっているらしい。「紅灯の巷」での社会勉強も
怠らなかったらしい。当然、こうしたことは講談社学術文庫の『養生訓』
の解説には書かれていない。
京都遊学から帰国して、39歳のとき益軒は結婚する。妻の初(はつ)は
17歳だった。東軒夫人である。
益軒は85歳で死去するまで、おう盛な著述活動を続ける。
『養生訓』が書かれるのは、益軒83歳のときで翌年出版されるが、同年
糟糠の妻である東軒夫人が死去した。これより益軒は心身ともに衰え
翌年(1714年)、85歳で死去した。
辞世の句は、
『越方は一夜ばかりの心地して、八十路あまりの夢を見しかな』
だった、という。
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