顕 夢 明 恵
『あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月』
『明恵はおどろくべき夢見の人であった。
彼の身体は夢に洗われ、烏賊のように発光する。』
(上田三四二)
明恵は夢を見る。十九の年から四十年間、日記のように
夢を記した。白州正子は次のように書く、
『孤独な彼にとって、夢はかけがいのない先生であり、修行の
場でもあった。ということは、自ら師であり、弟子でもあったと
いうわけで、「夢の記」は、彼の内部で行われた精神的な葛藤
と見ることができます。夢で感得したところを、覚めて実行に
移し、実際の行動を、更に夢の中でたしかめる、そんな風に
発展して行く彼の夢は、正に創作の名にふさわしいものです。』
限りなく肉体を痛めつけ、肉体の持つ世俗的な欲望を消し去ろうと
した結果、明恵の肉体は限りなく透明に近くなる。その透明な容器に
なだれ込むものは夢であった。彼は夢に生きる。
彼は天竺に憧れる、それは釈迦に恋したからだった。
『明恵のいま、ここに、われありは、いま、ここに、夢ありと言い直して
もよいほどだ。』(上田三四二)
夢のなかで、彼は天竺にいたり、時間を超えて釈迦に出会う、、、、、
















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