樋口一葉という人、15
戸主として、一家の生活の糧にと、小さな荒物屋を
始めた一葉の事を、平塚らいてうは次のように書いている。
『親兄弟の為めに余儀なく筆を執つた一葉はなほも生活難に
堪へないで親兄弟の為めに小商売を始めた。それは吉原
近きとある乞食町だった。
この間の生活は彼女が人生、社会に対する眼界を広め、経験
を増さしめあわせて作家としての観方、態度を新にし、作品の
上に一大進境を示させた。
彼女が一代の傑作「にごり江」「たけくらべ」「わかれ道」は即ち
この間の生活の産物である。
かくて一葉の名声、作家としての価値は動かぬものとなつた。
けれど一葉にとつてはこれは全く偶然の結果に過ぎない。
実に彼女の天才を発揮させたものは、、、、生活の圧迫だった。
只々親兄弟を大事と思ふ一念だった。その深いいつくしみの情
だった。よく己を捨てるものはまたよく己を得るのだ。
、、、、、、
彼女の生涯は否定の連続である。矢張り彼女は「過去の日本の
女」であった。』
なんだかね、一葉を誉めているのか、けなしているのか?
作品は評価しつつも、生活のため小説を書いたという動機に不純な
ものがある点が気に入らないのか、自分を犠牲に家族の為に生きた
事が、「自立する女」である平塚の気に入らなかったのか、単に自分
の主義主張に話を持って行きたかっただけみたいな気がするんだけど。
森田草平と心中未遂事件を起こし、漱石に『無意識の偽善者』と評され
た平塚らいてうのこの文章は、樋口一葉の日記の公開と共に始まる
一葉の偶像化への反発が感じられる。
幸田露伴は、一葉が生活の為に苦心惨憺する中で、いろいろの人情に
接し、世態にも通じるようになった、『其悲しむべき閲歴其物が大に女史
の才を養ふに補ひがあつたのである』と言っている。
しかし、また「吉原近くの乞食町」での生活が様々な噂となったらしい。
馬場胡蝶は、『一葉君の文名が高くなった二十八年の暮頃から、一葉
君の閲歴に関するさまざまな浮説が世に行はれた』と書いている。
曰く、一葉は吉原でおでん屋をやり、母親はやり手婆だった云々。
これらの噂を馬場胡蝶は否定して、世間の噂というものはこうしたもの
だ、と書いている。
どうやら、一葉という人はそのデビュー直後からゴシップの的となって
いたようだ。

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