啄木の葬式、2
啄木の死んだ夜に、妻節子のつけた金銭出納簿が
あるらしい。香典百二十円が全収入、支出は三円四十七銭。
その支出の内訳を見ると、泣かせる数字がある。
さるまた十五銭、新品を買って着替えさせた。お花二銭、
ろうそく十銭は仏前に供えたのだろう。もりそば二十銭、一杯四銭
のもりそばを五人前とってお通夜をした。代書十銭は死亡届の費用。
電報料一円八十銭、友人達に夫の死を知らせる為の十数通の
電報代、などなど、、。(半藤一利)
啄木の葬儀は、死の翌々日の4月15日、浅草等清寺で営まれた。
会葬者4、50人、北原白秋、相馬御風、佐々木信綱らに、森田草平と
夏目漱石が参列したという。
新聞は「質素にして清浄なる葬儀なりき」と報じた。
寂しい、天才詩人の葬儀であったらしい、、、、、
しかし、漱石は当時のエリートであった。啄木もまた、自分の天才を
信じて、ひたすら、生き急いだ人であった。
この時代、一般の人々は日々の生活に追われ必死に生きていた。
この時代に発表された、長塚節の「土」の序に夏目漱石は次の様に
書いている。
『「土」のなかに出てくる人物は、最も貧しい百姓である。教育もなけ
れば品格もなければ、ただ土の上に生み付けられて、土と共に生長
した蛆同様に憐れな百姓の生活である。』
藤沢周平は、東北の農民の子として生まれた故に『白き瓶』のなかで
この漱石の表現に激しい嫌悪感をあらわにしている。しかし、半藤一利
の著作によれば、漱石は自分の子供達に「土」を読めと勧めているらし
い。年俸三千円で朝日新聞に入社した漱石は、同じ朝日に勤務して
いたが、校正の仕事で毎夜遅くまで仕事に追われ遂には死に
追いやられた啄木の葬儀に参列している。漱石は、急激な近代化を
進めた明治という時代に生き、近代人的な感覚で、自意識との葛藤
に悩んだ。
啄木は、自分の天才を信じていたが、現実生活の厳しさのなかでその
思想を社会主義に向け、『時代閉塞の現状』を書く。漱石もまた、
「文明はわれらをして孤立せしめるものだ』との文明観を持つにいたる。
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あの天野祐吉さんがブログ始めてました。面白いのでぜひ参加してみてください。
天野祐吉のあんころじい
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Posted by: ちゃーちゃん | 2005.11.12 at 10:41 AM