紀国屋文左衛門の子孫が福井にいるというお話
越前鯖江藩五代藩主間部詮煕は京都から芥川元澄という儒学者を招聘し
藩校進徳館、江戸の惜隠堂の教授として人材の育成にあたらせた。
元澄の子孫は、帰山にいたるまで代々教授方を勤めた。
さて、この芥川元澄の親は芥川丹丘という京都の儒者だった。
この丹丘が紀伊国屋文左衛門の庶子であるという。
『鳶魚江戸文庫・24』三田村鳶魚著(中公文庫)の、「その後の紀文」に
そうした記述がある。
紀文といえば、みかん舟で大ばくちの商をして、巨万の富を得、その後
吉原を総買いしたり、小判小粒を鬼打豆の代りとしてばらまく等の散財を
繰り返し、遂には破産。一代で築いた財を、一代で使い果たした剛毅な男
ともてはやされた。しかし、鳶魚は、紀文伝説には多くの疑いがあるとする。
詳細は省くが、紀文は破産した後も、大枚の金銀を持ち悠々自適の生活を
送り、俳諧の趣味に興じていた。
とかく金持ちは世間から嫌われるもの。怜悧な紀文は一代で財産を食いつぶした
愉快な男を演じることで、江戸っ子の喝采を得た『巧妙な失敗者』だった。
破産の2年後に丹丘が生まれている。破産した身に庶子が生まれたとあっては
御用商人の不当な蓄財を追及している幕府の目にとまる。
紀文は多額の支度金をつけ、芥川家の養子とした。
丹丘は一生隠者のようにひっそり暮らし、多くの蔵書を揃えて
学問の道に勤しみ京都で有名な学者となった。
丹丘の子が、芥川元澄だった。
鳶魚は、『丹丘の子孫は福井市に栄えているそうだ。』と書いている。
大正13年の記述であるが、現在も子孫がいてもおかしくはない。
ことの真偽はべつとして、歴史の裏話として興味のある話ではある。



























































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