2012.05.16

紀国屋文左衛門の子孫が福井にいるというお話

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この写真の人物は、芥川帰山という。

越前鯖江藩五代藩主間部詮煕は京都から芥川元澄という儒学者を招聘し

藩校進徳館、江戸の惜隠堂の教授として人材の育成にあたらせた。

元澄の子孫は、帰山にいたるまで代々教授方を勤めた。

さて、この芥川元澄の親は芥川丹丘という京都の儒者だった。

この丹丘が紀伊国屋文左衛門の庶子であるという。

『鳶魚江戸文庫・24』三田村鳶魚著(中公文庫)の、「その後の紀文」に

そうした記述がある。

紀文といえば、みかん舟で大ばくちの商をして、巨万の富を得、その後

吉原を総買いしたり、小判小粒を鬼打豆の代りとしてばらまく等の散財を

繰り返し、遂には破産。一代で築いた財を、一代で使い果たした剛毅な男

ともてはやされた。しかし、鳶魚は、紀文伝説には多くの疑いがあるとする。

詳細は省くが、紀文は破産した後も、大枚の金銀を持ち悠々自適の生活を

送り、俳諧の趣味に興じていた。

とかく金持ちは世間から嫌われるもの。怜悧な紀文は一代で財産を食いつぶした

愉快な男を演じることで、江戸っ子の喝采を得た『巧妙な失敗者』だった。

破産の2年後に丹丘が生まれている。破産した身に庶子が生まれたとあっては

御用商人の不当な蓄財を追及している幕府の目にとまる。

紀文は多額の支度金をつけ、芥川家の養子とした。

丹丘は一生隠者のようにひっそり暮らし、多くの蔵書を揃えて

学問の道に勤しみ京都で有名な学者となった。

丹丘の子が、芥川元澄だった。

鳶魚は、『丹丘の子孫は福井市に栄えているそうだ。』と書いている。

大正13年の記述であるが、現在も子孫がいてもおかしくはない。

ことの真偽はべつとして、歴史の裏話として興味のある話ではある。

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2012.04.18

『青い玉』

飲み会で『獺祭』という酒を飲んだ。
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なかなかに、いいお酒でした。

正岡子規は『獺祭書屋主人』と号したが、

もともとは、唐の詩人李商隠が文章を作る時に

「多く書冊をえらび閲(けみ)し、左右に鱗次して、獺祭魚と号し」

たことによる。
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李商隠という人は、豊かな才能に恵まれたにも関わらず、

不遇であった。次々と起こる親しい人の死、

新旧官僚の派閥抗争の渦中に巻き込まれ、

変節漢として非難を浴び左遷、

辺地を転々とし、窮乏のうち、妻をも死なせてしまう。
 
逆境に耐えながら、李商隠は

『魚を捕えたカワウソがそれを喰う前に岸に並べる奇習』のように、

書物を左右に並べて、夥しい故事をもとに難解な詩を書いた。

高橋和巳は解説で次のように書く。

『フランスの寓話に、ある貧しい少年が、魔法使いから一つの青い玉を授かった

 話がある。その玉は、耐え難い不幸に襲われた時に覗くと、世界の何処かで、

 いま自分が経験するのと同じ不幸を耐えている見知らぬ人の姿が浮かんでくる。

 その少年は、その玉を唯一の富とし、その映像にのみ励まされて逆境に

 耐えてゆく。』

李商隠は、自らの逆境を詩に表した。万巻の書籍から得た夥しい故事は、

彼の意識に浮かんだ青い玉の像だった。そして彼の詩を読む人の心の青い

玉にもなんらかの像を結ぶであろう。そしてそれこそが、文学なる人間のいとなみ

が持つ最大の効用であるだろう、と高橋和巳は云う。

 『青い玉』はだれの心の中にもある。

文学のみならず、

音楽、美術作品らを通じて、

人と人との、ふとした温かなふれあい、

幼児の無垢の笑顔、

あるいは野辺に咲く小さな花を見ても、

心のなかにある青い玉は像を結ぶ。

ときおり、人は百年の生にも満たないのに、千歳の憂いに襲われる事がある。

そんな時のために、心のなかの青い玉はある。

李商隠はうたう、、、

『夕陽(せきよう) 限り無く良し ただ是れ黄昏に近し』、と。

(無限にひろがる夕映えのなんという美しさ、とはいえ、

もうすぐ黄昏てしまうのだけれど、、)

ある解説書は、この詩の意をつぎのように解す、、

 年老いてゆくわが身をいたずらに嘆くことなく、晩年をいかに見事に

生きるかを考えなさい。日暮れ前に輝く夕陽は限りなく良いものだ。


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2012.03.08

『挿木をする』・中野重治

昨年4月10日に三国に行った。

みくに龍翔館からしばらく歩いて、丘を登った。

画家の小野忠弘を記念した小さな美術館の「オノ・メモリアル」。
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三国の蔵を移築した、小野忠弘の旧宅。
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それに隣接して、コバルト・ブルーの直方体の建物があった。
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中野重治の詩が展示されていた。
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だれも他に訪れる人はいなかった。

ゆっくり、静かに、詩を読んだ、、、。
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ちょうど、3・11のあの日から、一ヵ月。

『挿木をする』という詩が心に残った。

『 今日は三月二十一日
  ほのかにこな雪がちらついて
  あたたかな春の彼岸の中日です

  おいで妹たち
  僕らは挿木をしよう
  お祖父さんやそのまたお祖父さんたちがやつたように

  今日はほとけの日で挿木の日だ
  雪は僕らの髪の毛にかかろう
  そして挿木はみずみずと根をさそう』

もうすぐ、あの日から一年になろうとしている、、


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2012.01.07

七草粥、『若菜ぞ今日をば知らせたる』

今日は、1月7日。正月の過食、過飲の胃を休めましょう。

と、いうことで『七草粥』。

当家の、粥は「キャベツ、白菜、セロリ、はこべ、ナヅナ、、、」
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塚本邦雄の本を読んでいたら、

春の七草「せり、なずな、、、、」の歌は、室町時代の歌人、四辻左大臣義成の

作とある。それ以前に、粥に入れたものがこの通りであるかは

疑わしい。ようするに春の野辺で摘んだ野草であればいい。

塚本邦雄は、セリのみで粥にしたものを好んだ。

『若菜ぞ今日をば知らせたる』とは『土佐日記』に記述があるらしい。

934年12月21日紀貫之は土佐守の任を解かれ、京への帰路の旅に出る。

舟旅はのろのろ気長に進む。年が明け1月7日になっていた。

この時、土佐の一夫人から、旅の無聊を慰める、差し入れがあった。

鮒、川魚、海魚、そして、若菜、、。
 
舟旅の途中で、都への思いはつのっていたが、

七草がゆなど望むべきもなかった。思いもよらぬ『若菜』の差し入れに

紀貫之は、今日がまさしくその日であったと喜んだ。

塚本邦雄は、毎年、妻が煮た春の七草粥を祝いつつ、

『若菜ぞ今日をば知らせたる』に続くところを口づさむ。

さて、本には、続くところは記載されていない。

調べました。

「若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。その歌、
『朝芽生(あさぢふ)の野べにしあれば水もなき池に摘みつる若菜なりけり』
皆人、童までくれたれば、飽き満ちて、舟子どもは腹鼓を打ちて、
海をさへ驚かして、波立てつべし」

千年以上前の、故事をふまえて、庭で摘んだはこべと、なづなを加えた

七草粥を食べることにしましょう、、、、。

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2011.12.24

メリー・クリスマス

スエーデンに住む友人から、クリスマスメッセージが来ました。
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今年は、日本にとってメモリアルな岐路となる年となるでしょう。

来る新しい年が、明るい希望に満ちた年になりますように、、、

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2011.11.29

ヒヨドリジョウゴ

あと一日で師走というのに妙に暖かい、、

店の前のテッセン(クレマチス)が狂い咲き、、。
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今年もヒヨドリジョウゴの実が赤く色づきました。
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店にも、陶製の湯たんぽにいけて、、、、
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2011.03.05

しょうゆ的生活(「急がば回れ」の小さな旅④『牛塔』)

『牛塔』を探しあぐねて、もう諦めかけた時、出会った年配の方に最期の

望みをかけて尋ねた。答えはあっさり、「見える所にありまっせ」。

150メーターほど先の信号の手前の細い道を左に曲がって、真直ぐ、

細い石段が見えます、それを昇ると右側にある、というのだった。

白洲正子は、近江の二つの美しい石塔として、『石塔寺の塔』と、

関寺の『牛塔』をあげた。石塔寺は二年前に訪れた。

どうしても、もうひとつの石塔である『牛塔』を見たかった。

言われた通り細い道をちょっと入ると、やはり踏切がある。

細い石段を少し昇ったところに、あまりにもさりげなく『牛塔』はあった。
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二年前に訪れた石塔寺の石塔にも感動したが、この牛塔も

どっしりとした存在感で私の前にある。

白洲正子は次のように書いている。

『、、石塔寺との間には、約三百年のへだたりがあるが、ここにはもはや
 大陸の残り香はなく、完全に日本のものに化している。人工から再び
 自然に近づいたといえようか。はっきりとした形は失ったかわり、漠然
 とした大きさと、暖かみにあふれ、須恵器の壺に、笠をのせたような
 印象をうける。』

『年々に牛に心をかけながらまたこそ越えね逢坂の関』 和泉式部

牛塔の故事については、略する。

この後、堅田の浮御堂へ、、、
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静かな湖面を、夫婦の鴨でしょうか、ゆっくり進んでいました。
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『帰林鳥語』という、吉川幸次郎のエッセイを思い出しました。

夕暮れ、静かに、静かに、鳥たちが林のねぐらに帰って行く。

長らく鳥かごのうちにいた鳥たちが自然に戻って行く。

重い時間を過去に持った者たちが、『帰鳥』の喜びを得る。

『鳥のまさに死なんとするや、其の鳴くや哀し。
                 
                  人のまさに死なんとするや、其の言や善し』

と論語にある、という。

ふと気がつけば私が、吉川幸次郎がこのエッセイを書いた歳に近づいて

いることに気付いた。

『鶯老いては舌を調するなかれ、人老いては詩を作るなかれ』、、、

      

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2011.03.04

しょうゆ的生活(「急がば回れ」の小さな旅③関の蝉丸神社)

大津に入って、逢坂の関をめざす。

綿密に下調べをしてから行けば良かったのだろうけど、

もとより「急がば回れ」の旅、、、しかし、これが悲惨なことに、、、
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蝉丸神社には、どうにかに行きついた。

しかし、神社の目の前に京阪電車の線路がある!!

何なんだろう?こんな神社は初めて見た。
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踏切を渡って、鳥居をくぐる。有名な蝉丸の歌碑を発見。
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『これやこの 行くも帰るも分かれつつ 
                     知るも知らぬも逢坂の関』

重文の石灯篭もある。
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蝉丸の墓と言い伝えられているものが福井県越前町にある。

流浪の旅の末、この地に葬られたという。
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さてこの付近に、『牛塔』があるはず、なにか観光案内の標識が

あるはず、と思い込んでいたが、、、無い!!

通りで出会った人に何人も尋ねてみるが、「さぁ???」

付近をぐるぐる回る、蝉丸神社がもう一つある。

一時間ほど時間を浪費、、もう帰ろうっと、思ったがあきらめきれず、

年配のこの近所の人と思われる人に聞くことに、、、、

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2011.03.01

しょうゆ的生活(「急がば回れ」の小さな旅②「佐川美術館」)

草津市街地を抜けて、湖岸道路へ、「佐川美術館」へ行く道筋に

ある、「水生植物公園みずほの森」に行くことに、、、、

烏丸半島の「琵琶湖博物館」にも行きたかったんだけど今回は

時間の都合で省略、、、。
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スイレンが美しい花を開いていました。

佐川美術館へ、、、
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なんというか、、、美術館自体が、芸術作品!!

いったい建設費はいくらかかったんだろう?なんて考えるのは貧乏人。
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初めてまじかに見る平山郁夫の絵はすばらしかったです。
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美術館の隣にある競技場も佐川急便の所有とか、、、!!

「急がば回れ」の旅ですから、湖岸道路を南下、久しぶりの琵琶湖は

波もなく、おだやか、、、近江大橋、瀬田川大橋は渡らずに瀬田唐橋に、
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大津に入って、以前から一度訪れたかった、『牛塔』を目指す、、、、


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2011.02.27

しょうゆ的生活、(「急がば回れ」の小さな旅、①草津の道標)

地方紙のプレゼントのコーナーに応募したら、

「佐川美術館」の入場券が当たってしまった。所在地は滋賀県

守山市、、、。調べてみると、行きたかった所が沢山ある。

目標は『佐川美術館』、しかし、「急がば回れ」の故事どうり、

少し遠回りしてみることに、、、、、

『急がば回れ』というのは、宗長の、

「もののふの矢橋の舟は速くとも急がば回れ瀬田の唐橋」に因るという。

京に向かうには、矢橋からの海路が、瀬田の唐橋を通る陸路より早かった。

しかし比叡おろしの風で海路には危険がつきものだった。

武士たるもの、多少は時間がかかっても陸路を行く安全策をとるべきである、

との意なのでしょう。

まずは、東海道と中山道の交わる、草津の宿に行くことにする。
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草津の本陣、、、。

東海道というのは、こんなに狭い道だったのかと改めて思いました。

まぁ考えてみれば、自動車も無い時代これで十分だったのでしょう。

中山道との交わる所に、「追分の道標」がある。

『右 東海道いせ道 左 中仙道美のぢ』とある。
Dscf0044 これよりちょっと先にある、

旧『うばがもち』の跡地にあるのが『矢倉の道標』で、

「急がば回れ」の故事の由来の矢橋の渡しへの道標であるらしいが

今回は事前の調べが不十分で行かなかった。

『瀬田へ廻ろか 矢橋へ下ろか 此処が思案のうばがもち』

『うばがもちと』いうのは草津名物で、由来については略するが、

家康、芭蕉、広重、蕪村らに取り上げられ有名、、、。

現在は移転しているが、行ってみる。
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おっぱいの形になっているんですね、これが、、、。


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2011.02.20

しょうゆ的生活、(猫の恋、、、)

あの大雪も大方消え、寒さもやわらいできたと思ったら、

夜な夜な、雄猫の求愛の鳴き声が聞かれるようになりました。

『あまり鳴いて石になるなよ猫の恋』(一茶)

「石になる」とは、別れた愛人を恋い慕うあまり、石になってしまった

松浦佐用姫(まつらさよひめ)の故事による、という。
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我が家の猫も、毎晩わが身を守るために唸り声で応戦。

そのせいでこちらが睡眠不足。

昼過ぎ、テレビの鳥の画像に熱心に見入り、、、

やがてテレビの裏側を確認!!

鳥がいないことに気がついた?

『何故だ?』

『人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ』
                             (寺山修二)

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2011.02.05

しょうゆ的生活(雪の野に傘捨ててあり、、、)

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久しぶりの大雪でした。油断していました。

一面の雪の原に傘が、、、

多分、数日前の荒れた風雪に飛ばされてしまったのでしょう。

雪に埋もれていたのか、柄は曲がっていました。

先週、『雪降れや貧乏徳利こけぬ中』なんて句を思い出さねば

よかったのかも。

とても雪見酒と洒落こむ気にもなりませんでした。

そういえば、こんな句もありました。

『真直な小便穴や門の雪』(一茶)

昔は雪道を歩いていると、黄色な穴をよく見ました。

寒い夜道を歩いていて、耐えがたい尿意をもよおしてやむ追えず、、

というところでしょうが、、、、

『真直』というところが、我慢したあげくという感じがいたします。

半藤一利は負けずに次のように詠みました。

『初雪や門の小便はどこの奴』

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2011.01.30

しょうゆ的生活、(イカ徳利を作る⑤)

雪、、、久しぶりの大雪です。

『雪降れや貧乏徳利こけぬ中』と詠んだのは小林一茶。

我が家の猫もトイレの度に大変です。
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イカ徳利も乾燥しました。熱燗のお酒を入れてみると、

たしかに濃厚な味わいのお酒となりました。

ニ三度使ったら焼いて酒の肴に、酒がしみ込んで美味しい

アタリメとなるそうです。次の飲み会に持って行くことにします。

皆でなんだかんだと盛り上がる事でしょう。
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さて、5,6年前に、リサイクルショップで購入したものなんですが、
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買う時、「これは何に使うもの?」と店に人に尋ねたら、

「煎じ薬を作る道具と聞いております」とのこと、、、

まぁ、何かを湯煎するものでしょうけど、

なんなんでしょうね、、。酒をお燗するにはいいんでしょうけど

囲炉裏の中にでもおいておいたものなんでしょうか?

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2011.01.25

しょうゆ的生活、(イカ徳利を作る④)

さて、『イカ徳利』を作ろうとしていたのだけれど、

『徳利(とっくり)』というのは、どうして「とっくり」なんだろう?
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随分以前に、スーパーの店先の陶器市で安い値段で

買った徳利と盃、多分業務用に大量生産されたものなんでしょうけど

結構お気に入りのものなんです。酒を注ぐと「トク、トク」と音がします。

広辞苑で調べると、『とっくり』は『とくり』の促音化とあります。

『とくり』の語源というのを調べてみると
①注ぐときに「トクリ」と音がする。
②雲具理(どんぐり)の意味
       雲は深い瓶の「雲襌」、具理は「酒つぼ」の意
③ハングルで「酒つぼ」の意味の「トックール」に由来
④見た目以上に沢山入るから『徳利』

色々説があるもんですね、、、、、

しかし、「トクトク」と音がするのは『ふくべ型』、ひょうたんの

形をしたものなんですね、、、。
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数年前に我が家の庭に出来たひょうたん。

水を入れて傾けると、「トクトク」と実にいい音がします。

これに酒を入れて『ふくべ』としたいと思っているのですが、、、


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2011.01.22

しょうゆ的生活、(イカ徳利を作る③)

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最初は簡単に考えていたんだけれど、

イカはなかなか乾くのに時間がかかる。なにぶん今年は

毎日、雪模様。最後はストーブで乾燥。最初からこうすれば

よかったのかも、、。

しかし、随分小さくなってしまったものです。

まぁ、それなりに徳利に見えないこともないですね。

さて、もう少し時間をかけて乾燥させて熱燗の酒を入れて飲んで

見ましょう。

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2011.01.18

しょうゆ的生活、(イカ徳利をつくる②)

徳利というのだから、やはりとっくりの形にした方がいい。

キッチンペーパーを詰め込み、、、

頭というか、しっぽというか、先の尖がった方を折り曲げる。

口は縛って、徳利型に、、、

さて??どうなるものやら、、、

あとは、じっくり乾燥。
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2011.01.17

しょうゆ的生活(イカ徳利を作る、①)

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雪、、、、、、我が家の庭も、、、

福井の人は、38と56という数字に反応する、とテレビで

以前に放映されていたらしい.昔に比べれば

たいした雪ではないけれど、、、寒い!!

こんな日には、おもいっきり馬鹿馬鹿しいことをやって気晴らししましょう。

と、いうことで『イカ徳利』を作ることにしました。

イカ購入!!
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げそを取る。
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三角の、、えんぺらも取ることにする。Dscf0015
さて、これからどうしたらいいんでしょうね???

だいたい、『いか徳利』なるものの実物を見た事が無い。

ようするに、スルメを作ればいいのだね、、、、。

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2011.01.10

しょうゆ的生活、(「はやぶさ」)

『はやぶさカプセル展示』
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小惑星探査機「はやぶさ」の展示会に行きました。

60億キロの旅を終えて、帰還!!最近の日本で、数少ない明るい

話題でした。沢山の人が来ていました。

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2011.01.03

しょうゆ的生活、(くさや、、、、)

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恒例の二日の新年会。

いいお酒と、Tさん手造りのおせち。
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今年は、久しぶりに「くさや」、、、、

部屋中、あの強烈な匂いが充満!!

今年も色々ありそうな予感。

そして、、
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薔薇の花束いただきました。

最高の誕生日となりました。

みなさん、有難うございました。

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2010.12.25

しょうゆ的生活(雪うさぎ)

雪が降ってきました。
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福井の年の瀬は、こんなふうに暮れゆきます。

雪うさぎ、、、、
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来年もいい年でありますように、、、、

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